十六世紀後期
高7.2 径12.0
田中丸コレクション蔵
鉄分の少ない白土でつくり、高台づくりはていねいで、高台ぎわを広く削っています。最初から注文された片口茶碗と思われます。 注口は漆でふさがれています。 注口附近は焼成温度が低く、充分に釉がとけていません。梅華皮が出て、美しい文様をつくっています。 胎土、釉色などが本手瀬戸唐津と非常に似ています。大正名器鑑に掲載された名器の一つです。
離駒 はなれこま 「繋駒」
奥高麗片口
「つれつれの友」の著者松山靑柯氏の舊蔵に、片口を取りて、其あとを繕ひたる唐津茶碗銘繋駒あり、蓋し茶碗を馬に喩へて、片口の儘なるを離駒といい、取りたるを繋駒といふ由。此茶碗は即ち片口の儘なる故、本来離駒の名ありしが、天保七年毛利侯之を獲て愛玩措かず「難波江に放ちし駒をひきかへしつなく手綱は江戸のむらさき」と口吟みて、是より名を繋駒と改めたりと云ふ。『大正名器鑑』
古唐津奥高麗茶碗に離駒という茶碗があります。
大正名器鑑に、直した茶碗を馬に喩え、注ぎ口の孔を閉じて片口をそのまま残したものを離れ駒といい、片口を取ったものを繋ぎ駒というとあります。
意味がいまいち反対のように伺えますが、孔を閉じて口の役割を無くしたので離駒と解釈しましょう。
昔より有名な話で、片口を茶碗に見立てて使えるのは唐津の茶碗で、他の焼では茶碗として認められなかったといいます。
それくらい唐津の片口とは有名だったようです。