後渡り・中渡り・今渡りなどと対称される語で、中には極古渡り(一名根抜)などと称する語もあるが、これらは中国渡来の金襴の時代区分に用いられる語で、文明(1469~87)頃足利義政の時代に舶来のものを古渡り、永正・大永(1504~28)頃舶来のものを中渡り、永禄・天正(1558~192)豊臣秀吉時代に舶来したものを後渡り、慶長元和(1596~1624)頃舶来のものを近渡り、天和元禄(1681~1704)に舶来のものを新渡、享保(1716~36)以後舶来したものを今渡りといっているが、陶磁器にはそのままでは通用しにくいように思える。陶磁器に用いられる古渡りという名称は、嘉永年間(1848~54)の著『陶器考』に「諸焼物古ト称スルハ五百年以上三四百年ハ只品ヲ以テヨシ遠州以来後渡リナリ百年以来ヲ新渡ト云テヨシ」とある。しかしながら嘉永より五百年前といえば中国においては元の時代であるから、宋・元の古窯例えば竜泉・定窯などに関する限りこの呼称は支障ないが、染付・赤絵などにこの呼称を用いることは不可能であり、もしもいわゆる古染付、古赤絵のようなものを幕末頃五百年以前のものと考えていたのであれば、これは明らかに誤謬である。だから染付・赤絵に関する古渡りという名称は、前記『陶器考』の「三四百年ハ只品ヲ以テョン」に該当するのである。そして後渡りに関し「遠州以来」というのは、小堀遠州の時代を一般にいう古渡り中に含めることになるが、遠州が生存していたのは中国の明時代(遠州は一五七九、天正七年生まれ。これは中国の万暦七年に当たる。一六四七、正保四年没、69歳。これは中国の永暦元年に当たる)であるから、遠州時代に渡来したものを清朝初期のものと混同して後渡と称するなら、はなはだその理由に乏しいといわなくてはならない。明・清両朝間のやきものの品質には多大の相違のあることはもちろんである。ゆえに前記『陶器考』の説をもって遠州没後に渡来したものを後渡りと称し、それ以前に渡来したものを古渡りと称する意に解せば、実物と符合することになるわけである。染付類についての解釈はほぼ右の通りであるが、近頃は中国・朝・東南アジア・ヨーロッパの陶磁全般について、明治以後に舶載されたものに対し、それ以前に渡来して日本に伝世したものを古渡りの品と総称することが多い。(尾崎洵盛)