1798年(寛政一〇)ロシア人が千島に侵入した時、幕命を受けて同地に赴き択捉島(エトロフ)に「大日本恵土呂府」の標柱を建てた。重蔵守重はこの時択の土と釉を持ち帰って茶碗を焼いた。(『日本陶磁器と其国民性』)