友田安清 ともだやすきよ

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鶴田 純久の章 お話

金沢の人。1862年(文久二)に生まれ、九歳で叔父友田運蔵の養子となり、九径または九渓と号した。早くから陶画を修得し、1882年(明治一五)納富介次郎に製陶着画の新法を、1885年(同一八)ワグネルに顔料調整法などを学び、1887年(同二〇)さらに工科大学教授中沢岩太について化学を究め、1889年(同二二)石川県立工業学校教諭になった。1899年(同三二)兵庫県出石郡立陶磁器試験所長に赴任し七年間勤め、1906年(同三九)帰って林屋組を起こし硬質陶器を創製し、次いでこれを日本硬質陶器株式会社と改め、1908年(同四一)以来同社の技師長であった。

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