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鶴田 純久の章 お話

瀬戸系諸窯のうち赤津窯・品野窯で用いられた称。
1610年(慶長一五)赤津窯の仁兵衛・唐三郎、品野窯の新右衛門・三右衛門らは美濃国(岐阜県)から尾張国(愛知県)に召還され、それぞれ登窯を築いた。これを御窯家と呼び、これに対し在来の窯家を平窯と呼んだ。赤津の平窯では「また」品野の平窯では「だすり鉢」を専門に焼き、それらの製品を平窯物といった。国鉄谷割にひらきおおざら開大皿)工端反りになっている大皿。焼物皿・強肴鉢に用いたものであろう。(『利休宗旦名物皿』)

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