朴平意 ぼくへいい

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鶴田 純久の章 お話

星山仲次と共に薩摩焼の元祖。清右衛門・興用の別名がある。文禄・慶長の朝鮮の役(1592~ー八)の際島津義弘に従帰し一時薩摩国日置郡串木野(鹿児島県串木野市)で開窯した。一六〇六、七年(慶長一一、二)頃下伊集院村苗代川(日置郡東市来町)に移って窯を築いた。白焼の原料がないため百方検索し1614年(同一九)にこれを領内諸地で発見した。非常に製陶に妙を得て熊川・金海に類似した茶碗および朝鮮伝来の刷毛目・三島手・宋胡録などの作品を出し、義弘より特に清右衛門の名を与えられ、また苗代川初代の庄屋を命ぜられた。1624年(寛永元)五月没、65歳。1885年(明治一八)に農商務省よその功を追賞された。朴貞用はその子。(『薩摩焼総鑑』)

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