万古焼の開創者。その作を弄山万古または古万古と呼ぶ。伊勢国(三重県)桑名の人。姓沼浪、名を重長、通称五左衛門、弄山はその号。または寸方斎と号した。1718年(享保三)生まれ。生まれつき茶事を好み、桑名在住の時邸内に窯を設け陶器を焼いて楽しみ、のち許可を受けて小向村(三重郡朝日町小向)に窯を築いた。1763年(宝暦一三)父吉良を失った。弄山の江戸転はその前後あるいははるかそれ以前であろう。江戸小梅(墨田区)の別邸で公儀の許可を得て開窯。
将軍家御成先御用並びに御数寄屋御用を仰せ付か将軍もしばしばその窯場に臨んだという。1777年(安永六)九月に江戸で病没、60歳。
長男義道は製陶を好まず、窯を安達新兵衛に監督させた。なお弄山の弟に安東焼を起こした瑞牙がいる。(『本朝陶器攷証』『工芸志料』『工芸鏡』『彩壺会講演録』『茶わん』四五)※とばんと