知恩院勤仕大田垣光古の養女で、幼名誠子。33歳で夫に死別後剃髪して蓮月と号した。42歳で父にも死別し、母はすでに蓮月の少女時代に没しており、三子のいずれも天折して、蓮月の前半生はすこぶる不遇であった。しかし後半世においては歌人として名を挙げ、また手捏ねの茶器に自詠の歌とを彫り付けて蓮月焼としてもてはやされ、晩年西賀茂神光院の茶所へ移ったが、1875年(明治八)85歳で没した。
蓮月焼には弟子の黒田光良の代作もあるが、光良は蓮月没後二代蓮月を名乗り、光良山の印を使っている。
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