中世六古窯 ちゅうせいろっこよう 六古窯 ろっこよう

信楽 壺
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鶴田 純久の章 お話
信楽 壺
信楽 壺

信楽
 
信楽焼は、現在の滋賀県甲賀市信楽町で焼かれた陶器で、12世紀の末、平安時代末から始められたと考えられます。
信楽焼は須恵器の流れをくみ、無釉、焼締め陶器であります。
無釉と言っても、炎が強烈に当たった部分には、自然の灰が降り、それが摂氏1300度前後の炎の中で溶け、ビードロとなり、自然釉となっているものも少なくないようです。
焼成品目は、すり鉢、壺、甕の三種を主とした雑器でした。
この頃の陶工は、半農半陶で。農閑期に焼き物を作る仕事に従事していました。
窯跡は100基を超えるといわれていますが、その殆どは未調査のまま荒れ果てています。
私も二十五年ほど前、山本貞彦氏の案内で、二十数基の古窯跡を案内してもらいました。
山本氏は高知県から信楽に移り住んだ方で、彼の古窯発掘調査以外に詳しい調査報告はないようです。

備前
 
備前焼も信楽同様、須恵器の流れをくみ、十二世紀の末から始まったと考えられています。
現在の岡山県備前市近郊で焼かれた焼き物で、信楽と同じように、すり鉢、壺、甕の三種を主とした雑器でした。
殆どの産地がそうであるように、室町時代の末になって茶の湯が盛んになってきますと、茶器の生産を始めるようになるのは、備前とて同様です。

丹波
 
丹波焼きは兵庫県多紀郡今田町立杭近辺で中世以来焼き続けられています。
中世の三種の器、壺、甕、すり鉢が焼かれていましたが、ここ丹波では、すり鉢が非常に少なく、江戸に入ってから多く焼かれるようになります。
丹波もやはり、信楽、備前同様、須恵器系に属しています。

ここまでを見て、信楽、備前、丹波の各窯場つまり関西地方に位置する窯場は、須恵器の系列に属しています。
それに反して、これから見ていく窯場、つまり、関東エリアと北陸地方は、瓷器系の焼き物で、その系列は異なります。

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