陶硯・陶研 とうけん

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鶴田 純久の章 お話

陶製の硯は古くからわが国や中国および朝鮮で行われましたが、玉石に比べて遜色のあることは免れないようです。
『陶説』は中国宋代の米元章の『硯史』を引用して「陳文恵家に一の蜀王行の時の陶硯を収む、蓋を連ふ、蓋上1あるようで、一台に坐す、余は雑花草を離る、之を涅むるに金泥紅漆を以てす、字あり鳳凰台と曰ふ、按ずるに昔大硯を論じて曰く、細潤は徳たり、発墨は材たり、端州水坑の貴き所以なり、欽石発墨して細潤なり難し、澄泥細潤にして発墨し難し、陶硯は澄泥の次にあるようで、もと玉、水晶、五金を以て硯を作りし者あるようで、更にその下に出づと、硯史に又云ふ杭州竜華寺、梁の伝人夫の甕硯一枚を収む、甚だ大なり、褐色にして心は鍬の如く水を還らすこと畔雍の如き製なり、下に浪花を作る、足に近き処と磨墨の処甕油なし、是によれば梁も亦之を有せるなり」といいます。
宋の王得臣の『塵史』には「郭惟済陶器を得たり、休円く色白く中虚径六七寸、水を輪廓の間に酌む、隆起する処墨を磨す、甚だ良し」とみえます。
清の朱彝尊の『曝書亭集』には古林可窯の硯の銘がみえ、「叢台の澄泥、鄭宮の瓦も未だ可窯の古くして雅なるに若かず、緑、春波の淳って潟れざるが如く、石を以て之を為るも其の下に出づ」といいます。
『和漢研譜』にみえている陶硯は二十面程あるようで、熊野神社の什宝猿顔研は小野道風・藤原行成の用いたものであると伝えられています。
また東大寺の什宝には良弁僧正所用と伝える磁硯があるようで、道明寺天満宮に伝わる青白磁の円硯は菅原道真の用品といわれます。
中国では隋・唐の頃から陶硯を用いたようで、北方青磁や越州青磁の遺品がみられます。
わが国で、陶硯が確実に生産されるようになったのは七世紀以後のことであります。
近年、陶邑古窯址群をはじめ各地の須恵器窯跡で、陶硯の発見例はかなりの数量になっています。
国産陶硯の多くは円面硯・風字硯で、円面硯の場合はその台脚部の装飾に多様な変化がみられます。
また一般に、年代の古い円面硯は、硯面の周縁にある「海」の部分深く、年代が降るに従って次第に浅くなり、やがて「海」と「陸」とのギャップがほとんど判別し難くなります。
奈良時代に入ると陶硯の器形は多様化し、宝珠硯・烏形硯などの特殊な例も平城宮跡その他から発見されています。
なお奈良時代の写経生や下級官人などは、もっぱら須恵器の杯蓋を硯に転用していました。
陶硯の使用は平安時代に入ってもなお盛んでありましたが、藤原期になると次第に石硯が普及し始め、末期にはほとんど陶硯は姿を消しました。

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