高さ9.6㎝
口径13.1㎝
高台径7.1㎝
飯洞甕という妙な名の窯場が一躍有名になったのは、この窯趾から膚に彫目のある破片が出土するようになってからであります。
それまでの唐津の研究では、彫唐津などというものがあることすら知られていなかったので、この種の破片の出土は疑念と驚きを持って迎えられたものでありました。
しかしそれが刺激となってこの茶碗が世に現れるにいたり、飯洞甕彫唐津の存在が確認されるようになったのであります。
とはいってもこの茶碗は発掘品ではなく立派な伝助品で、ただその特異な形状、装飾から、途中で何処のやきものなのか解らなくなってしまい、そのまま世に埋れていたものであるだろうと思われます。
この窯の土は帆柱窯のものよりも細かく、色は自い、唐津の普通の土より、むしろ美濃の土に近い、それを用いて四角あるいは五角に近い半筒碗を作り、膚の柔らかいうちに彫文様を付け、彫文様はすべてこの×形であります。
そして時に彫目に鉄釉を塗り、濃い長石釉をたっぷりとかけるから白上りとなり、志野のような膚あいになります。
彫目や高台脇の削りの部分に梅花皮を見ることも多いようです。
高台は低く大きい二重高台で、これも志野にならったものと思われます。