参寥道潜 書翰 さんりょうどうせん しょかん

参寥道潜 書翰
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鶴田 純久の章 お話

重文。
北宋末に雲門宗の法系に出て、詩文でも有名であった参寥道潜が、その道友淑通教授に送った書翰で、現存墨蹟中、最古のものの一つである。その書風はまことに枯淡で、しかもそのうちに雅致と気韻とを蔵している。
内容は託送された手紙の懇情への感謝と、生地於潜へ赴き同地に滞留していたため、返信が遅れてしまったことの詫びを中心とした挨拶文。
参寥道潜は浙江省杭州の西方於潜の出で、雲門宗の大覚懐璉に参じてその法を嗣ぎ、杭州の智果寺に住した。
雲門宗は北宋末にはすでに衰えていたので、彼の禅僧としての活躍にはみるべきものは乏しいが、学は内外典に通じ、ことに詩を能くして蘇軾(東坡)・秦観らと深く交わり、自ら『参寥詩集』をのこしている。
有名な陳師道は彼を「釈門の表、士林の秀、詩苑英」と評しているが、事実、北宋哲宗朝の丞相呂公著の知遇を受け妙総大師の号を賜わり、当時の名士と交際が深かった。
書翰のあて先の淑通教授がどのような人物かは不明。
文末に「方氏嗜書斎蔵書記」 「義參精玩」ほか一印の計三印が捺されているが、これは後世の鑑蔵印である。
古来すこぶる珍 重さ:れた墨蹟である。
【付属物】添状―四、大徳寺雪庵宗圭・同一溪宗什・同清嶽宗節・片桐石州筆
【伝来】原三溪―中村一石庵
【寸法】全体 縦112.5 横58.5 本紙縦28.3 横47.5
【所蔵】松永記念館

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