江戸のはじめ、朝鮮の釜山にあった和館は、日本の大使館のような役割を果たしていましたが、ここではまた日本からの茶人の注文によって、御本茶碗が焼成されていました。
日本から渡った作陶の指導者・責任者の名を付けた御本茶碗が生まれてくるわけですが、玄悦もその一人で、対馬藩のお抱え医師で、姓は船橋、もと京都の人であると伝えられています。
玄悦手は、高台が高く、見込みの深い形が多く、高台内側から高台を通して器体の側面、腰あたりまで釘彫りをした作品もあり、この茶碗はその代表作。
《付属物》箱-桐白木、書付松平不昧筆
《寸法》高さ8.5~8.8 口径12.6~23.1 高台径6.4 同高さ1.3 重さ362