この名は室町末期から江戸初期にかけての茶会記その他に散見され、伊勢(三重県)産の天目かとみられますが、一説に美濃(岐阜県)産の天目で伊勢山田(伊勢市)の御師に年々需用されたものが呼ばれたともいわれます。下手なものであったらしいです。