市江鳳造 いちえほうぞう

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鶴田 純久の章 お話

尾張藩士。
文化・文政(1804-30)頃の人で市江鯉右衛門と称しました。
若い時から製陶を好み、勤仕の余暇に陶法を平沢九朗に学んで茶器や雑器をつくりました。
作風は九朗に似て工人風がなく、みな上品で大変雅致に富み、当時の人々に大いに愛玩されました。
世に鳳造焼という(時に風造と誤られる)。
なお嘉永年間(1848-54)に村瀬美香が不二見焼を始めた時に指導をしたともいわれています。
(『陶器類集』『をはりの花』『名古屋市史』)

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