楽脇窯の作家。初め楽家四代一八の養子になったがのちに不縁となり、その後京都一条通りに住み楽焼を業としました。製品にはよい品も少なくありませんでしたが、楽家六代左入の時に窯業を禁止されて晩年は江戸へ移住したといわれます。(『日本陶工伝』)