安土・桃山時代の茶匠。
武野紹鴎の一の弟子。
和泉国(大阪府)堺の人。
屋号を墨屋といい、禁裏御用達の呉服商でありました。
紹鴎について茶道を学ぶこと二十年、小壺の大事を伝授されましたが、利休の高弟山上宗二は彼を酷評して、道具に対して目が利かず、茶の湯も下手で、不作意な人だといっています。
利休に所望されて台子の古法を授けた。
千家ではこれを伝えて墨屋伝授と称しています。
名物道具としては、鬼桶信楽水指を所持していました。
1576年(天正四)11月10日没というが明らかでないようです。
三代目宗二の時に姓を松尾と改め、松尾流茶道を称しました。
これによると辻玄哉は松尾流の始祖となります。