瀬戸系の窯場で登窯の色見孔のことをいいます。単に艶見ともいいます。慶長(1596-1615)の頃この地方に伝わった朝鮮系の窯に初めてこれがありました。また磁器窯の前方部に艶見孔を設けたのは明治初年で、瀬戸の加藤繁十の発案にかかり、これを前艶見といいます。普通の艶見はこれに対して横艶見と呼ぶようになりました。