粘土を焼いてつくった土製棺の一種。
土製棺の中で、その形の起原を日常の容器に求めうるもの、例えば甕形土器については甕棺、円筒埴輪を用いたものや円筒埴輪から変化した形と考えられるものは円筒棺と呼び、洗骨葬や火葬に使用された土器や陶器は蔵骨器とか骨壺などと呼ぶ習慣ですから、陶棺というのは、土葬に用いられた他の器物にその形の由来を求めにくい土製棺を指しますのに、かなり漠然と用いられている名称であります。
結果的には、多くの場合、木棺や石棺などの形を土で模してつくった棺を指すことになります。
須恵質でも土師質でも焼成技術は問題にせずに陶棺と呼びます。
陶棺は古代世界の各地で発見されています。
紀元前三千年紀中頃のウルの陶棺を最古の例として、メソポタミアでは楕円形や家形の陶棺、大形を象った蓋をもつ陶棺などにかわります。
クレタ島でも楕円形・卵形・家形などの陶棺が用いられ、ここでは絵画や幾何学文が施されていることに特色があるようで、クレタ特有の「ラブリス(双斧)」や「聖なる角」を描いたものかおります。
古代ギリシアでも陶棺は使われましたが、エトルリアの陶棺は蓋の上面に死者の、時には夫婦の全身像を立体的に表現していることで著名であります。
ローマ時代はこの形を継承しています。
パレスチナにも箱形や大形の陶棺があるようで、インドのマドラス付近では、筒形の脚をもつ陶棺を収めた紀元前後の時代のドルメンが知られています。
中国では四川省の崖墓から、漢から西晋に至るかまぼこ形の蓋をもつ箱形の陶棺が発見されています。
この陶棺は灰褐色で、漢代の瓦博と同質であるところから中国では瓦棺と呼んでいます。
以上の各地の陶棺は、少数例を除くとおそらく独自に発達したものであるでしょう。
六世紀後半から八世紀にかけて使われたわが国の陶棺も、古代日本人の考案になるものと考えられます。
わが国の陶棺は、円筒形の脚を二列または三列に付けた長方形、あるいは両端を丸くつくった形の身に中高の蓋をかぶせます。
焼成技術からみますと、土師質のものと須恵質または瓦質のものとがあります。
土師質の陶棺で早く使われたのは、蓋が丸く盛り上がり、身にも蓋にも補強のための粘土帯を縦横に貼り付けた形の陶棺で、形の類似から亀甲形陶棺と呼んでいます。
やや遅れて切妻式屋根形陶棺が現われました。
この型式には身の短辺の側面に人馬を浮彫りで表現したものや、軒丸瓦の瓦当文を飾ったものが知られており、また須恵質のものもあります。
土師質の陶棺は赤褐色で、仕上げの際のいわゆる刷毛目を残し、ベンガラで外面を赤く塗ったものが多いようです。
大型のものは身蓋ともに中央で切り離し、四つの部分を組み合わせるようにつくってあります。
土師質の陶棺を焼いた窯はまだ発見されていないようです。
須恵質の陶棺は、屋根の形が四注造りの屋根形に似るところから四注式屋根形陶棺といいます。
屋根の両端の斜面に小孔をあけて円板で塞いだものが多いようです。
輪積みののちに叩き締めて成形したものと、板状に叩き締めながら成形したものとあって、内外面に叩き型の跡を残しており、須恵器の成形技術と共通する面が認められますが、また実際に須恵器の窯で焼かれたものであります。
四注式屋根形陶棺の初現は土師質の切妻式屋根形陶棺に先行するようであります。
陶棺は主として中国および近畿地方で使われましたが、岡山県東部は特に出土例が多いようです。
火葬が流行し始めると陶棺の各型式を小型にした陶棺形蔵骨器がつくられました。
ほかに土師質の一端を丸くつくった脚をもたない筒形の小形棺があって砲弾形陶棺と呼ばれていますが、これはむしろ円筒棺に近いです。