徳見知敬 とくみともたか

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

肥前有田の人。
荻村または英南と号しました。
もと小城鍋島家の武士でありましたが、父知愛に従って有田に移り納富介次郎を師として画を学び、精磁会社および辻勝蔵の工場で陶画を描いました。
線の美しさは他の追随を許さず、多く宮内省御用品菊花御紋章などを描き、特に古伊万里式の図案に長じていました。
また1888年(明治二こ田代呈一と共に比恵古場に起産社を起こし、蒸気機関で磁器原土の製造を始めましたが、1895年(同二八)不況に遭いこれを町村組合の経営に譲りました。
晩年有田工業高等学校の教諭となり図案・陶画を教えました。
1922年(大正一一)2月没、六十一歳。
(『有田磁業史』)

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