石川県鹿島郡烏屋町一帯に分布する須恵器窯跡群。
能登半島の基部に当たる口能登には、羽咋市から七尾市にかけて半島を境するように南西から北東に走る低地帯があるようで、これを邑知地溝帯と呼んでいます。
烏屋古窯址群は邑知地溝帯の北東端部に位置するが、この低地帯には烏屋古窯址群のほかにも須恵器窯跡が点々と分布しています。
烏屋古窯址群は既発見窯跡総数約三十基を数え、その存続期間は六世紀初頭から奈良・平安時代にわたっています。
特にこの古窯址群中最古の深沢一号窯の操業年代は、灰層発見の須恵器から判断すれば六世紀初頭を降らず、北陸地方では現存する窯跡の中で最も古いです。
この古窯址群における窯体の構造および規模は基本的には他地方の例と変わらず、いずれも須恵器窯に通有の客窯であります。
例えば奈良時代に属する春木三号窯の場合は、窯体の全長九・八メ一トル、焼成部床面の最大幅一・三三メ一ト。
ルを測り、焼成部傾斜角はおよそ四〇度あったといいます。
床面は五層に重なり、壁面も数度の補修を受けています。
この窯跡群より出土する須恵器の製作技法・器種の組み合わせは、大阪の陶邑窯のそれと基本的には変わりませんが、その器形は一部に地方的色彩を認めることができます。