わが国で南蛮焼と呼ばれてきた粗磁器は南洋方面から渡来したための名称であるでしょう。製品は茶入・茶壺・水指・建水など。その窯所は明確でないようです。
田内梅軒は南蛮島物はほとんど呂宋(フィリピン)と阿嬬港(マカオ)との製品であるとしますが、これらの地はただ陶磁の集散地であっただけで産地ではないようです。
中国明代の広東窯はフィリピン、ボルネオその他南洋諸島に大小各種の陶器を輸出しましたので、南蛮焼といわれるものの大部分は中国南方の生産と思われ、南蛮芋頭水指という伝世品に万暦(1573-1619)の年款のあるものがあります。
そのほか安南(ヴェトナム)・迢羅(タイ)あたりの粗製品も混在しているようで、またインド文のあるものもあるのでインド産の一部も南蛮焼と呼ばれていたことがわかります。南蛮焼と呼ばれるものを通観してみますと、一定の作風がなくまた窯印もほとんどなく、多くは紫黒色の妬器質で、無釉の作品に頑健味があるようで、また施釉の作品もあります。
『万宝全書』は「南蛮焼は下品なり日本の備前焼物を見るが如し」といいます。
国内の南蛮写しは備前・伊賀・京都・信楽・常滑・瀬戸・丹波・萩・唐津・高取などにあります。
(『陶器考』『万宝全書』『陶磁』二ノ一『支那陶磁の時代的研究』)