博多人形 はかたにんぎょう

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

福岡県博多の土製玩具。
博多人形という名は1890年(明治二三)第三回内国勧業博覧会に出品された時に名付けられたもので、それまでは単に泥人形とか土人形と呼ばれていました。
慶長年間(1596-1615)正木宗七が創始したというのが一般の通説でありますが、最近の研究によれば正木宗七は歴代素焼の陶師で人形師ではなかりました。
博多人形の元祖は四代宗七と同時代の七輪焼師中の子安兵衛の子吉兵衛で、早くより牧牛軒中村利治について彫塑の技術を修得し、初めて土偶玩具をつくりました。
子吉三郎や従弟白水六右衛門および松尾文右衛門らがあとを継ぎ、ついに今日の博多人形の基を開いました。
吉兵衛は1856年(安政三)9月没、六十歳。
種類に笹野才蔵・達磨・鳩および鳩笛・臭笛・いんこ笛・土玉・子守・羽子板持ち・首人形・3月雛・鎧人形・泥面子・ねぶり人形・池灯篭などがあります。
1932年(昭和七)の総生産額は四十二万五千円、製造戸数百五十二戸で、アメリカなどへ多く輸出されましたが、次第に古雅な趣は失われていきました。
(『日本近世窯業史』『日本郷土玩具』『茶わん』四九)※そうしちやき

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