東山御物 ひがしやまぎょぷつ

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鶴田 純久の章 お話

足利八代将軍義政の時、東山山荘で制定した茶道具の名品を東山御物と呼んでいます。
御物とは、漢・魏以降の文献からみますと、中国では天子の用に供する品物を称していました。
わが国の平安時代前後に天皇の蔵品を御物と呼んでいるのも、中国用語の適用と思われます。
奈良東大寺の正倉院御物は最も古いものであります。
しかしその後室町時代になりますと、足利将軍家の所蔵品をも御物と称するようになったばかりか、その将軍家の御物が数量ともに天皇御物よりも上であったために、室町時代中期以降における御物という用語は将軍御物を指すかのように使われています。
東山御物の制定には唐物の目利きとして知られた同朋衆能阿弥・芸阿弥父子が参与し、初代尊氏の時から将軍家に集められた唐物名器の中から選定し、中国宋元の名画の掛幅・盆・香合・燭・香炉・花瓶・茶碗・葉茶壺・茶入・その他の雑器にわたっています。
『山上宗二記』に挙げられている東山御物のやきものには、三日月の茶壺・松島の茶壺・四十石の茶壺・捨子の茶壺・橋立の茶壺・付藻茄子茶入などがあります。
義政の没後、室町幕府の崩壊と共に御物も四散し、幕府の武家や大名、および畿内の豪商の手によって買得され、その一部は織田信長・豊臣秀吉の所蔵品となりました。
現在東山御物として伝来しているやきものには、打曇大海・靭肩衝・北野肩衝・残月肩衝・松屋肩衝・遅桜肩衝・灰被天目(夕陽)・横田肩衝などがあります。

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