瀬戸焼の一種。
瀬戸黒・織部黒・黒織部などと呼ぶも皆同種であります。
焼成中に窯内から鉄鈎か鉄挾で引き出したもので、この名はそこから出ています。
器物にはこの鈎または挾の痕跡があります。
ほとんどが茶碗で、焼きが若いものには茶褐色のものもあるようで、釉面が柚肌状のものがよいとされています。
梅皮状の釉面をもつものがあるようで、また違った趣があります。
黒釉の器物の半身または一部分に白釉を施し、その部分に鉄砂で麓画を描いたものや、白釉のみで文様を施したものがあります。
山路の黒茶碗などがその例であります。
茶碗の形は大別して二種あります。
一つは底が一文字形、他の一つは底が摺鉢形で、底が一文字形のものはおおむね筒形茶碗の高台が低いものであります。
底が摺鉢形のものは浅くて高台も高い。
先の文様のあるものは後者に多いようです。
製作年代は詳かでありませんが、前者は天正・文禄年間(1573-96)、後者は慶長(1596-1615)頃の作ということができます。
『をはりの花』に「一に織部黒は陶祖景正第十三世の孫加藤長兵衛(後に高島姓を冒す)の発明にして今世俗に引出黒と称するものも此長兵衛を唱矢となす云々」とあります。
しかしこの説は誤りであります。
その黒色の様はやや楽焼に似て、質は堅く、土色は淡青色のものであります。
まま淡紅色のものもあります。
烈火の中から引き出して急に冷却するばかりか、これを水中に投入しますので、無数の破裂を生じ、色も焼き置きとは非常に異なり、不快な光沢がなく、湯を入れても長時間冷えない点などは楽焼に酷似しています。
一般に黒楽とは形式・意匠を異にし、その興味も楽焼と優劣をつけがたいです。
製作年代も楽焼と同じ頃で、当時はわが国の茶事の最盛期ともいうべき時であるようで、意匠が高雅なのもうなずけます。
工人も多くの茶入に会ってその指導を受け、多年の練磨によって完成したのであるでしょう。
その美しさは淡雅素朴の中にあるようで、意は密にして体はかえって疎になっています。
引出黒は引き出しやすいように匝鉢の外に置くので灰塵をかぶりやすく、変色することもあります。
瀬戸六作あるいは十作といわれる窯印はこの引出黒の茶碗に多いようです。
美濃大萱・大平・久尻などの窯跡から多くの破片を発掘しています。