深海宗伝 ふかうみそうでん

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

肥前国(佐賀県)の陶工。
文禄の朝鮮の役(1592-4)後杵島郡武雄(武雄市)の城主後藤家信によって帰化し、内田皿山の陶窯に従事。
故郷の名をとって深海を姓とし名を新太郎と改めました。
その作を新太郎焼といいます。
1618年(元和四)10月没。
妻は朝鮮人の一部を率いて有田郷稗古場に移住しよく子孫を養育しました。
人々は彼女を百婆仙と呼んです。
後世の深海平左衛門(喜三)、その子墨之助らはその子孫であります。
(『日本陶磁器史論』『有田磁業史』)

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