安政(1854-60)から慶応(1865-8)の頃加藤梅太郎が用いた銘。同工は春岱の長男光太郎の没後を継いで尾張家の御窯屋を相続しました。そのため前代の号に今の一字を冠して今春岱と称しました。(『をはりの花』)