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鶴田 純久の章 お話

『茶経』の著者。
姓は陸、名は羽、字は鴻漸。
桑苧翁・竟陵子と号しました。
中国唐代玄宗から徳宗頃の人。
復県竟陵の水浜の捨子だったといわれています。
同地竜蓋寺の僧智積禅師に育てられ儒仏の学を修めましたが、放浪して一時俳優の群れに投じました。
その後郡守の李斎物に見出されて学業に戻り、のち若渓に隠棲し自適風狂をもって聞こえ、一時太子の文学の官に任ぜられたが間もなく辞退しました。
代宗の時顔真卿が胡州の刺史として来任するや用いられてその『韻海鏡原』の編纂に関係し、また諸国を廻り高士張志和・詩人釈咬然などと交遊が深かりました。
徳宗の貞元(785-804)末年に没したというが享年不詳。
八十数歳と推定されているだけであります。
『茶経』三巻はその著。
当時盛行した団茶の法を整理し十篇に分けて詳説、茶の根本は「倹」にありと説いています。
実に茶書の最初ですので、後世陸羽をもって茶祖と崇めます。

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