中国先史文化の一つで、最初に発見された山東省歴城県城子崖の所在地竜山鎮の名から命名されました。
竜山文化の土器は漆黒色薄手のものから、表面のみ黒色のやや粗末な土器に至るさまざまのいわゆる黒陶が特徴でありますが、これを黒陶文化と呼ぶのは適当でないようです。
また、かつては山東省を中心としてそれに近い遼東半島付近のみに分布するところから、中原の仰詔文化と対立した別種の文化と考える人もありましたが、現在この竜山文化は山東省はもとより山西・河北・河南・浹西・江蘇の各省で三百。
所以上の遺跡が発見され、その分布は仰詔文化よりもさらに広く黄河中・下流域をおおいます。
発達した鋤耕農業が竜山文化の生産基盤で、磨製石器と貝器を使用し青銅器はまだ使用されていないようです。
土器の製作には琥披が使用され始め、陶窯の構造も仰詔文化に比べて発達しています。
土器中では灰陶の割合が最大で黒陶がこれに次ぎ、紅陶と白陶がわずかに混ざります。
最も著しい土器は全面漆黒色で光沢があるようで、卵殻のごとく薄い典型的な黒陶であります。
土器の文様は縄席文・藍文が普通で、方格文・剣文と鑓孔などで飾ります。
器形は変化に富み鼎・爾・萍・甑・甑・帑・耀・豆・盆・盃・杯・盤などかおり、圏足・三足と把手が多く使われだしたのは黒陶の著しい特色であります。
また典型的な黒陶の形態が殷・周の銅器の形態の基礎となったことも考えられましょう。
すでに戦前、殷墟の後岡の発掘で、竜山文化が仰詔層の上、灰陶層の下から層位的に発見されていましたが、解放後各地で竜山文化の発見と調査が相次ぎ、それによって竜山文化が仰詔文化から次第に発達してきたもので、両者は継承関係にあることが明らかとなりました。
同時に各地域の聊性も明瞭となり、以前から知られていた山東省の典型竜山文化のほか、河南省殷墟の後岡遺跡を標式とした河南竜山文化、陵西省客省庄の発掘から明らかとなった陵西竜山文化が各地域で特色付けられ、さらにかつてアンダーソンによって発見された斉家文化は、黄河上流の甘粛竜山文化として編年されています。
また最近発見された山東省の大淀口文化は中に特色ある彩陶を含み、山東省の典型竜山文化のより古いものではないかと考えられつつあります。