竜泉窯 りゅうせんよう

竜泉窯 りゅうせんよう
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鶴田 純久の章 お話
竜泉窯 りゅうせんよう
竜泉窯 りゅうせんよう

中国最大の青磁窯。
浙江省の竜泉県を中心に慶元県・雲和県・松陽県・麗水県・景寧県の一帯に二百余を数える窯跡を擁した大窯であります。
この地に青磁窯が起こったのは五代頃らしく、おそらく越州系の一窯として始まったのであるでしょう。
竜泉大窯から出土した五代期の破片は彫文・釉調ともに越州のそれと選ぶところがないようです。
しかし竜泉窯が世にいう砧青磁と呼ばれる粉青色の美しい青磁を大量に生産するようになったのは南宋以後のようであります。
竜泉窯跡の調査は陳万里によって1928年以来続けられており、解放後も浙江省文物管理委員会による調査が進んでいます。
それによると竜泉窯の中心的窯場は琉華山の麓の通称琉田の大窯のほか、金村・大磨・木岱・渓口などに分布しています。
それらの地で大量につくられた青磁は早くから東洋の各地をはじめオリエント、ヨーロッパ、アフリカにまで輸出され中国の名を高からしめました。
南宋前期(こ一世紀)の竜泉青磁は砧青磁と呼ばれている粉青色の釉の厚く掛かったもので、原則として釉下に地紋を持だないようです。
南宋も後期に入ると浮牡丹や双魚などの地紋が現れ釉色はやや緑がかってきます。
さらに元に入ると釉は青というより黄緑色のいわゆる天竜寺青磁となります。
大量生産が過ぎたために製作が乱れ良質の原料が不足してきたためであります。
明代にも竜泉窯の生産は続くがガラス分の多いぎらぎらした釉調になり、わが国の茶道界では七官青磁として用いられていますが、青磁としては下品であり竜泉の終末を告げています。
器形はほとんどすべてにわたっていて、小媒から大が入れる程の大瓶まで、つくられなかったものはないようです。

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