中国唐の末近くから塞外の内蒙古地方で勢力をふるっていた契丹系騎馬牧畜民族は、やがて華北・満州(中国東北部)方面に領域を広め、十世紀初葉には遼という王国を樹立しました。
遼はしばしば中原地方に侵攻し多くの捕虜をその根拠地に連れ帰つてそれぞれの業に就かせるのを常としました。
当時華北には定窯・汝窯・磁州窯など優秀な陶磁窯が栄えており、遼はそれらの陶工をも連れ帰って領下に陶業を振興させたのであります。
主な窯は林東(上京)の官窯、赤峰の乾瓦窯、撫順の大官屯窯、遼陽(東京)の江官屯窯、承徳の隆化窯、慶陵近くの遼瓦窯で、中国陶磁と見まがう優品から民芸風の雑器に至るまで多くの作品を生産しました。
世に遼三彩といわれる唐三彩系の多彩釉陶が最も有名でありますが、その他に定窯系の白磁、磁州窯系の白釉陶・絵高麗・掻き落とし・三彩の傍系ともいうべき緑釉・褐釉などの単色釉陶、それらを組み合わせた緑宋磁のごときもあるようで、また天目系とでもいうか濃い天目釉や茶葉末釉を掛けた民芸風陶器もつくられています。
形式のうえ上で特色のあるのは鶏冠壺と呼ばれるもので、革袋形の下膨れの扁壺に革紐や鋲の形を装飾的に浮き出させ、上端に小さい注口と把手が付いています。
この把手の形が鶏のとさかのようなのでこの名が出ました。
いかにも騎馬民族らしい意匠の器で、白釉、緑・褐釉、白磁などの例があります。
次いで珍しいのは長頚壺で、これは唐の鳳首壺の使化したものと考えたらしいが、鳳首のまったくないものさえあります。
そのかわり長細い胴に刻線の花紋を入れ緑釉を点じたりした逸品がみられます。
この長頚壺の頚かほとんど消滅したずん胴の長壺は馬乳酒を入れた雑器で、濃い天目釉におおわれたものが多いようです。
その他三彩や白磁・掻き落としなどによる壺・瓶・碗・皿・媒・八稜長方盤・輪花鉢などみるべきものが多いようです。