中国漢代に栄えた酸化銅を呈色剤とする低火度鉛釉陶で、同系褐釉陶よりやや遅れて後漢から三国にかけて中国全土で盛んにつくられたようであります。
起原などについては「褐釉陶」の項参照。
また作品の性格や範囲についても褐釉陶と同断であります。
ただし緑釉陶は釉の成分の関係で土中の間に表面に銀白色のラスターと呼ばれる皮膜をかぶることが多く、そういうものを銀化緑釉などと呼んでいます。
中には緑釉と褐釉を併用した作品もまれにありますが、緑釉の安定が悪いのか剥落することが多く、美しい二彩になったものは極めて少ないようです。
六朝時代にこの釉法は中断し、北朝末に復活しますが、やがて現れる唐三彩の中に吸収されて消えてゆきます。