WedgwoodJosiah ウエッジウッド・ジョサイア

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鶴田 純久の章 お話

イギリスの陶磁製造業者。
1730年7月生まれ。
家はスタフォードジャーの中産階級で製陶業を営んでいました。
十歳の時天然痘にかかり右膝を痛め以後自分で製陶することをあきらめ、兄トーマスの経営する製陶工場で製陶工業全般を轆察しその改善に努めるようになりました。
当時イギリスは産業革命の影響を受けて人口が増加し、生活用品の需要は急速に拡大してきました。
そのため製陶業もこの需要に対応して、個人的工房生産から工場生産に改変されることが要求されるようになりました。
ウエッジウッドは率先して工房から工場への転換を試みようとしたが兄に同調されず、1758年独立して製陶業を経営し始めました。
彼はまず従来の個人の一貫作業に代えて分業を取り入れ、原料成分や轆轤を改良して量産が可能なようにしました。
また輸送面での損失を減らすために、新しい運河の開通にも努力しました。
次いで彼は数人の化学者たちとも接触をもつようになりました。
その中には酸素の発見者として有名な化学者プリーストリーもいました。
彼はこれらの科学者たちから新しい発見やデータを得て、それを彼の製陶業に取り入れると共に、リバプールの指導的企業家ベントリの知遇も得るようになりました。
こうして彼は絶えず素材と工程の改善に力を尽くし、その中へ当時の新しい科学の成果を十分に取り入れていきました。
分業、工場の合理的レイアウト、労働条件の改善が進められました。
かくして有名なエトルリア工場が建設されました。
やがてベントリも経営に参加しました。
1768年彼はロシア帝国派遣のイギリス大使用のセメン卜を受注し、これによってロシア宮廷から大量の注文を受けるようになりました。
中には952個の陶器全部に違った風景デザインを要求するものもありましたが、この問題は暗箱を利用して風景を写すことで解決しました。
彼はエトルリアの実験室で絶えず実験を進め、窯業技術を科学的に解決しようとしました。
その実験からのちにジャスパーと名付けられた素材がつくりだされました。
硫酸バリウムを主成分とするものであります。
プリーストリーは絶えずウェッジウッドと連絡をとりその研究成果を彼に伝えました。
1660年に創立された王立学会はイギリスの科学研究の中心的リーダーであり、近代科学の発展に大きな役割を果たしたものでありましたが、汲の轆関誌である『理学通報』にも、ウエッジウッドは論文を発表するようになり、粘土が温度の上昇につれて収縮する現象を利用した高温計は注目を集めました。
1783年には彼も会員に選ばれました。
この前年にはワットの蒸気機関が導入されており、珪石の粉砕や絵の具・原料土の調整に利用されるようになりました。
エトルリア工場は実用品・装飾品・人造宝石(ジャスパー)などの部門に分けられ、1790年には約一六〇人の職工がいて分業組織で生産に従事しました。
これより先1772年には耐熱性の高い陶器でつくった多くの化学実験用の器具を載せたカタログが発行されました。
世界最初のものであります。
彼のもとには化学者たちから多様な実験器具の注文が集まり、それは同時にイギリスの科学を進歩させる役割をもっていました。
製陶業は純然たる化学工業にまで成長したのであります。
1773年当時のエトルリア工場のカタログによりますと、二〇種の製品があります。
その内容は1)メダルーカメオ種り古代装飾品や現代美術をモデルとします。
1787年までにはI〇三二種が用意されます。
2)レリーフ型メダル装飾板=三〇〇種に増加予定。
3)メダル類=王・女王・古来の歴史的人物の肖像入、一〇〇種に増加予定。
4)古代ローマ史に取材した六個一組のメダル。
5)ローマ貨幣写しのメダル四〇種。
6)ケーザル像=サイズ四種。
7)メダル=史上有名な王五二人。
8)メダル=ローマ教皇像二五三種。
9)イギリス・フランスの国王および王妃像メダル=一〇二種。
10)現代名士肖像メダル。
11)胸像八〇種、動物像四〇種。
12)ランプ・燭台=大理石風・岩石風、ジャスパー製。
13)紅茶・コーヒーセット、各種食卓用容器=緑・黒・白・多彩・二色ジャスパー。
14)花瓶・植木鉢。
15)テラコッタ古代型飾り壺。
16)レリーフ付き岩石風の古代型飾り壺。
17)絵画焼付台・飾板。
18)壺・三足器類。
19)インクスタンド、絵の具皿、化学・医学用器具。
20)高温用温度計となっています。
ギリシア・ローマに取材した複製的デザインの多いことが特徴であり、この点をグラッドストーンは「ウェッジウッドは芸術と産業を結合するという重要な仕事に一生を捧げました。
彼はイギリスの工業の性格を変えました。
彼はギリシア芸術の美の精神を復興した」と評価しました。
ウェッジウッドはすぐれた化学者・物理学者を招いて1763年に陶磁研究所を開き、製陶技術を科学的合理性で裏付けることに最後まで力を注いでします。
進化論の創始者として有名なチャールズーダーウィンの祖父の科学者エラスムスーダーウィンは、1780年にベントリが死んだのちは最大の親友でありました。
1795年1月、六十四歳で彼は没しましたが、ダーウィンはその最期にも立ち会った程でありました。
彼は製陶業を一個の工業とし、その製造技術を新しい科学を導入することで合理化した最初の人であり、それはイギリスの産業革命の一端でもありました。

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