上野有竹 うえのゆうちく

marusankakusikaku
Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

明治・大正時代の茶人、藪内範庵門下。
1846年(嘉永元)生まれ。
名は理一、別号を清静庵といいます。
丹波篠山(兵庫県多紀郡篠山町)の人。
村山竜平と共に大阪朝日新聞社を経営し、そのかたわら茶に親しんです。
1895年(明治二八)から東京で益田孝を中心に大師会という茶道グル一プの集まりが開かれたのに対し、関西でも大阪の実業家を中心に、京阪神の同好者が十八会という茶の湯の社交組織をつくって茶道の普及に尽くしましたが、上野有竹もその一員でありました。
また篠園会の一員として大阪茶道会に重きをなしました。
1919年(大正八)没、七十二歳。

前に戻る
Facebook
Twitter
Email