越中焼 えっちゅうやき

marusankakusikaku
Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

富山県砺波郡吉江村字高宮(西砺波郡福光町高宮)の産。
頼成焼あるいは高宮焼ともいいます。
1892、3年(明治二五、六)頃もと富山県土木吏員だった近傍の福光町の吉崎権吉の発議で、般若村字頼成(砺波市頼成)の高畠馨の投資を得て数棟の工場を建てて輸出向けの磁器を製しましたが、のちに火災のため挫折しました。
当時の陶工に山崎兵松・和沢橘三郎・加藤浅吉らがいて、多くは「越中焼」の小判形の印を捺しました。
のち黒川某らがこれを再興したが間もなく廃したといわれます。
(『大日本窯業協会雑誌』二一『越中製陶史稿』)

前に戻る
Facebook
Twitter
Email