貝高台 かいこうだい

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鶴田 純久の章 お話

高台の底面に貝殻の痕のあるもの。朝鮮系の陶器にみられる。目砂の代わり。

古くは、器物を重ね焼きするとき、熔着を防ぎ、また器の座りをよくし製品の歪を避けるため、器物の間に貝を置いて窯詰を行きましたが、そのため高台に貝殻が付着したり、貝殻の形紋が付いたものをいいます。朝鮮茶碗、唐津・上野・高取焼などに多く見られます。

昔、現代のように優れた窯道具が無かった時代、工夫を重ね、常々食していた貝の殻を使ってみて、貝殻の主成分である石灰は単独では高温(陶磁器を焼く温度)では熔けず形も崩れにくい性質であること、又これが焼きあがった後の処理がとても簡単で土や他の物では形は崩れないが硬く焼きしまっていて削り取りが大変ですが、貝殻だと焼き上がった時は硬かったのが水に浸けますと,ずぶずぶと崩れ落ち後は器物との接着部分の鋭利な所を削るだけの手軽さを知り、左①図のように土で作ったハマ(器物を乗せて焼く窯道具)の上に貝殻を敷き、その上に器物を乗せたやり方で窯詰をやっていたようです。
またそのハマは器物とくっつき崩れない限り何度でも使える特典も生まれてきます。

私が所蔵しています唐津,叩きの船徳利、その底の部分(左②図)には釉薬も掛かっており9個もの蜆の貝殻の後が残っていて、その敷かれてある蜆の貝(左③図)の大きさに驚かされます。
(古唐津の窯後は海より遠い山麓に多いですので、赤貝(海の貝)もたまに見かけますが蜆の貝殻が一般に多く使われているようです左④図。)

そんな昔の生活の一部を垣間見るような貝殻高台を今でも賞味がられ、現代の唐津焼の水指や花入等を焼く時よく使う技法の一つになっています。

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