もと肥前国(佐賀県)小城藩士、製陶実業教育の率先家。初め有田に小学校が設けられると校長として迎えられ熱心に子弟を教育。晩年工芸学校を起こし有田産業の発展を図り、私財を投じて学舎を建て教務の拡充を策しましたが、おりからの陶業不振と学制の統一のため自己の抱負と合わずついに挫折。1892年(明治二五)1月没。町民は旧恩を忘れず未だに町祭を行っています。(『有田磁業史』)