モ一スは、「1830年(天保元)頃マサなる江戸の職人名古屋に来り茶碗の製法を学ぶ、遺作に〈政〉の押銘と〈大畑忠左衛門〉の刻銘あるものおり。記録の示すところによれば、江戸のある提灯職人の子尾張に至り製陶の術を学び、子供ながらも小形の茶碗に藍色を以て種々の意匠を描けりといふ」と述べています。(『日本陶器目録』)