朝鮮・李朝時代初期の15、六世紀の窯。忠清南道に位置し、三島、刷毛目、白磁などを焼いていました。
この手の鉄絵粉青を俗に鶏龍山(けいりゅうざん)と呼びますが、これは窯が忠清南道公州郡反浦面の鶏龍山山麓、鶴峰里に位置するためです。高台裏には白化粧がなく、畳付を除いて全面に黄色味をおびた透明釉がかかっています。この手の瓶は、小さく引き締まった高台に特徴があり、本器もその例にもれません。器の表には何本かの圏線が廻らされ、胴の中央には如意頭文と蔓草と想われる文様が手慣れた速い筆致で描かれ、速度感と軽快さを魅力とされてます。
鶏龍山窯址は、韓国では初めて発掘調査が行われた窯としても有名です。
その成果は1929年、神田惣蔵・野守健編『鶏龍山麓陶窯址調査報告』(朝鮮総督府)にまとめられました。
発掘調査の結果、6箇所の窯が確認されたほか、数多くの印花や粉青鉄絵の陶片が出土しました。
また、「成化(せいか)二十三年」(1487年)や「嘉靖(かせい)十五年」(1536年)銘の墓誌などが出土し、粉青の年代を考える上で貴重な資料となりました。
この鶏龍山発掘の結果は広く受け入れられ、新たな高麗茶碗のひとつとして、あるいは唐津の源流説ともなり、当時大きなブームを起こしましたようです。