景徳鎮 けいとくちん

Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

三江西省饒州府浮梁県にある中国最大の窯の一つ。
青白磁・青花・釉裏紅・五彩など多彩な磁法をもって宋以後の中国陶磁史の根幹をなしたことは周知のとおり。史伝では漢代にその起原があったとしているが不詳。唐代に入ってから昌南鎮窯(昌河の南にあるというところからこの名が起こった)の名で世に知られ、白磁と青磁を産したらしい。その窯場として楊梅亭・石虎湾の二窯が戦後中国の調査で明らかになったが、越州風の青磁と純白に近い白磁を産したというだけで詳細は不明。景徳鎮の名は、この地が北宋の景徳年間(1004~7)に器を産したことから発したものであるが、その器とは世に影青と呼ばれている青白磁の類である。純白の磁土に微かな鉄分の還元した青白色の透明釉が掛かったもので、多く素胎に陰刻・陽刻型押しなどの彫文を持つ。瓶・壺・水注・香炉・合子・鉢・碗・皿などあらゆる器をつくり、極東はいうに及ばず東南アジア・オリエント・地中海域にまで盛んに輸出するくらい大量生産をした。南宋になってからの青白磁はつくりが厚く文様も崩れ気味で、ややその磁業は退いんちん潮した趣がある。それには同地域の竜泉窯が砧青磁と呼ばれる美しい青磁を産して貿易面でイニシアティブをとったことと、二つの南宋官窯が微妙極まりない釉色の青磁を生み出したことが作用したからであろう。しかし元代に入ってから景徳鎮は再び活況を取り戻し、乳白色の柔らかな釉調を持った白磁の生産を進めてゆく。型押しなどの文様がある点は宋代の軌を踏んでいるが、それも厚味のある釉におおわれて穏やかな表現になることを意識しているかのようにみえる。この種の白磁の鉢に型押しで枢府の銘のある例が知られているが、これは元朝の御器で当時の最高級のものといってよいだろう。やがて景徳鎮の陶工はなんらかの機縁で、この白磁の釉裏にコバルトまたは酸化銅で文様を付けた青花と釉裏紅の磁器を開発し、以後の中国陶磁史の大主流を形成してゆくことになる。

景徳鎮窯では明時代中期になると民窯を中心にしだいに五彩,すなわち釉上彩の技法が盛んになっていきました。
この作品は明時代嘉靖年間(1522-66年)頃に景徳鎮民窯で盛んに焼造されたいわゆる古赤絵の典型作です。がっしりとした大型の鉢に,自由闊達なのびのびとした筆づかいで草花文や唐草文が描かれており,赤,緑,黄の濃厚華麗な上絵具が明るく健康的な色彩美を生み出しています。底裏に青花で「大明年造」の銘が記されています。

前に戻る
Facebook
Twitter
Email