井戸脇茶碗 銘 大悲山

井戸脇茶碗 銘 大悲山
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鶴田 純久の章 お話

高さ:6.2~6.4cm
口径:14.1~14.4cm
高台外径:4.7cm
同高さ:0.9cm

 この茶碗を井戸脇と見なすようになったのは、たぶん明治以後のことでしょうが、長崎や白梅と比べて土味、釉調とも、かなり異質のものです。
 『大正名器鑑』に所載されている井戸脇は、長崎、白梅、藪内家伝来の茶碗、江戸十人衆鳥羽屋伝来のものなど、四碗ですが、それらがすべて共通の作ゆきのものとはいえません。その点かちもわかるごとく、井戸脇には共通の約束というものがありません。幕末から明治にかけての茶人が、井戸脇という語意を適宜に解釈して、それなりに当てたもののように推測されます。
 大悲山は、素地はきわめて鉄分の多い暗褐色の細かい胎土をなし、総体にかかった釉も非常によく溶けて、いわゆる井戸のように釉肌の荒々しいものではなく、鬼熊川のような光沢のあるつややかな釉調です。しかし釉はかなり厚くかかっているため、貫入はそれほど細かいものではなべ、高台まわりは一種の梅花皮(かいらぎ)状をなしていますが、これも井戸のように重厚な趣ではありません。白梅と比べて、素地、釉調ともにかなり異なった茶碗ではありますが、やや共通しているのは形状で、竹節状をなした低い高台、端ぞりの口造りなど、ほとんど同様の作ゆきをなしています。
 総体的に変化に富んだ釉色のもので、淡く黄色をおびた朽葉色と茶色の二段に変化した景は、おだやかなうちに深い味わいが感じられ、しかもやわらか味に富んでいます。だが、この茶碗のよさは、やはりその形姿にあるのではないかと思います。高台から口辺にいたる素直な、そして間然するところのない轆轤(ろくろ)の運びは、掌中にあってまこどに快い広がりであり、また肉取りもよく、したがって重さも適当で、佗びの薄茶茶碗としては格好のものどいえるのではないでしょうか。高台には目跡が四つあり、見込みには目跡を見ません。
 大悲山の銘はいかなるところからのものか判然としませんが、内箱蓋表の貼り紙の「大悲山」の字はかなり古いです。しかし箱が貼り紙ほど古いとも思われませんので、のちに貼り付けたものでしょう。おそらく京都の大悲山の景に似た、おだやかさをもっていることからの命銘ではないでしょうか。古い伝来はつまびらかでありませんが、その後、大阪の藤田本家に入り、さらに東京の茶人亀山宗月の蔵するところとなりました。従来ほとんど知られませんでしたが、伝えぎくところによると、谷松桓戸田露吟はかなり高く評価していたといわれ、藤田家に入ったのも谷松屋の推すところであったのかもしれません。
(林屋晴三)

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