加藤幹山 かとうかんざん

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鶴田 純久の章 お話

京都の著名な陶工。
もと尾張瀬戸の人で名は伝七といい、京都に出て幹山と号しましたが、1872年(明治五)の戸籍改正に際し、加藤を廃して幹山を姓とし、幹山伝七と称しました。
※かんざんでんしち

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