加藤勘六 かとうかんろく

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鶴田 純久の章 お話

尾張瀬戸の陶家。
初代勘六は景正十六世の孫加藤孫右衛門春琳の長男であり、元文年間(1736-41)瀬戸村北島(瀬戸市)の地に分家しました。
二世勘六は1766年(明和三)に生まれ、閑陸と号し、その作中著名なものは今日に至るまで勘六青磁・勘六獅子・勘六風炉と称されています。
多く閑陸の款があり、晩年は閑遊の印を用いました。
1848年(嘉永元)没、八十歳。
三世勘六は多病で早世。
四世勘六が継業して製磁に転じ、1866年(慶応二)素磁の模型を用いることを案出しました。
(『をはりの花』)

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