Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

所蔵:根津美術館
高さ:5.5cm
口径:14.0cm
高台外径:4.5cm
同高さ:1.2cm

 伝世の古三島茶碗として、最も有名なものの一つで、所持者の名によって上田暦手と呼ばれ、古来名物とされています。なお暦手とは三島手の異称で、ともにその紋様が三島暦に似ているのでつけられた名で、三島暦手と称されている場合もあります。
 いったいに、高麗茶碗でも所持者の名の冠されたものにはい一時代古いものが多いですが、三島も茶碗の歴史の上では、古雲鶴、井戸と並んで他に先んじています。あるいは賞玩の古さでは、三島紋様や礼賓銘などの特色から案外早く、室町時代初期にまでも上るのではないかと思われ井戸よりも早いかとみられます。
 所持者上田とは、その名を銘として世に称されるほどの人物ですから、然るべき身分の、よほどの茶人と思われるのですが、それはおそらく上田宗箇とみて誤りありますまい。上田宗箇は武将としても知られましたが、かつすぐれた茶人としても有名で、ことに斯界においては織部生爪古伊賀花いけの所持者としてその名がとどろいています。これは古田織部が門人上田宗箇のだっての懇望のままに、秘蔵の古伊賀花いけを彼に贈りましたが、あたかも生爪を卦ぐ思い云々の宗箇宛の織部文が添えてありますので、世に織部生爪花いけと称されるものです。この織部との古伊賀花いけをめぐる逸話だけでも、上田宗箇の風格は彷彿とすることができましょう。宗箇は晩年、芸州浅野家犯客分として仕え、慶安三年、八十八歳で没しました。古三島には、室町時代からの伝世品もかなり存するものとみられますが、上田暦手の場合は、宗箇が初めて採町上げたというよりも、文禄、慶長の役に武将として出陣し、かの地から持ち帰ったという由緒によって、特に彼の名が冠されたのではないかと察せられます。
 この朝鮮役は、当時すでに茶の湯全盛の時代とて、出陣の武将たちはいずれも茶碗に対して、大きな興味を寄せたことと思われますが、割高台や御所丸の逸話も、これにまつわるものでした。師の織部秘愛の古伊賀をも、執心ゆえにたって所望するほどの、熱烈な数寄者たる宗箇の見いだした三島は、さすがに彼の目にふさわしく、古三島きっての名碗として、世に上田暦手の名声を高めたものでしょう。
 鶏竜山(忠清南道)三島の特色の、ことによく発揮された尤品で、作ゆき軽妙俊敏に、刷毛目も鋭く軽やかです。内外にわたる三島紋様も、ほとんど刷毛目に覆われてわずかに見え隠れして、かえって味わいは深いです。見込み茶だまりには丸紋があり、これを囲んで砂目が景をなしています。さらにこれを大きく囲む二筋は、見込みを引き締め、外面胴筋もよぐきいている。高台作り鋭く片薄で、兜巾立ち、脇取りも強くて、総体の姿をいっそうきわだたせています。まことにその名に恥じぬ希代の名碗で、古三島の真面目は、この一碗によって満喫することができます。口縁から胴にかけて、相対して入が二筋あり、金繕いになっています。
 付属物は、
内箱 黒塗り 金粉字形「古三島上田」
外箱 桑白木 金粉字形「古三島」
伝来。上田宗箇所持によって上田暦手の名あり、のち姫路城主酒井家の蔵品となって『酒井蔵帳』の名物とされましたが、近代に入って根津青山翁の有となり、現在では根津美術館蔵品となっています。
(満岡忠成)

上田暦手 うえだこよみで

名物。
朝鮮茶碗、古三島。
上田は元の所持者の名らしいがどういう人であるか不明。
釉色は美麗で暦手の模様が鮮明であります。
小服三島茶碗の秀逸といわれています。
上田某から姫路藩主酒井家に伝来し、現在は根津美術館所蔵。
(『大正名器鑑』)

前に戻る
Facebook
Twitter
Email