加藤杢左衛門 かとうもくざえもん

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鶴田 純久の章 お話

尾張瀬戸の陶家。
代々杢左衛門を襲名し、蓬莱軒と号しました。
家祖杢左衛門が陶業を開始したのは寛政年間(1789-1801)であり、業を営むこと二十余年、1841年(天保一二)家を長男宗松に継がせて退隠しました。
宗松は二世杢左衛門と改称、1867年(慶応三)に至り製磁に転業し、もっぱら大作をつくることに巧みで、その名声を博したのは明治の初年に青花磁の大燈寵(直立∵八メートル)を製作したことでありました。
また外人向けに蝙蝠傘立ての代用として経筒形の大花瓶(直立六〇センチ。
投入・傘立て・ツンドなどと呼ばれる器)を製して好評を得ました。
今なおこれを模して製出しています。
1884年(明治一七)養子久七に家を継がせて自らは退隠し、陶楽園杢兵衛と改称しました。
1900年(明治三三)9月没、六十九歳。
三世杢左衛門はすなわち養子久七であります。
(『をはりの花』)

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