高さ:6.5cm
口径:14.3~14.7cm
高台外径:5.4cm
同高さ:0.4cm
銘の由来は、『目利草』によると、「江戸とゝや、此茶碗紫入申候故いふよし、小堀家の物語とぞ」とあって、見込みに現われた紫色の飛び釉から、江戸紫にちなんで名づけられたといわれています。
こいわゆる本手ととやの茶碗ですが、形姿・釉調ともにきわめて温雅な作ぶりです。高台は、総体の大きさに比してやや低く削り出され、高台ぎわの箆取りの削り込みも浅いです。腰から口縁にかけてはほぽ直線的に広がっていて、糸目のような細かい目が静かにめぐり、いったいに薄作です。上こ高台畳つきに、ほつれが三~四ヵ所でき、高台内は、兜巾を中心に巴状にくっぎりと削り出されていて、地膚には縮緬皺皺が細かく現われています。淡かっ色の土味はきわめて細かく、釉がけも総体的に薄いです。ご釉膚ぱ例によって一方は青みに、一方は黄みをおびた薄茶の片身替わりになってい&が、高台から腰まわりにかけてはほとんど黄みがちで、高台ぎわの箆削りの部分には紫かっ色大小の斑紋が現われています。そして外側上半部は、青みと黄みとが混然と搬のように交わっているのが印象的で、きっかりときわだっていないため、優雅な趣を一段と高めています。
口縁はやや樋口になり、見込みの中央にはうず兜巾が現われています。見込み又は黄釉のたまりがあり、また江戸紫にちなんだ恚いわれる紫かっ色の飛び釉がくっきりと表われて、いったいに静かな作ゆきの見込みに景を添えています。
総体無きずですが、高台畳つきはあるいは少し磨っているかもしれません。けっして派手な景の茶碗ではなく、ととやとしてはむしろ地味な作ぶりで、落ち着いた風格の茶碗です。『大円庵茶会記』によると、松平不昧はこの茶碗を文化十年四月十八日の茶会に用いていますが、それはこれら釉膚の景があたかも春霞のような趣をなしていたからでしょう。そのときの取り合わせは、次のようなものです。
掛け物 門無関
花入れ 青磁筝
茶入れ 山の井肩衝
茶碗 ととや 替青井戸べべら
桐白木の内箱蓋表の「江戸ととや」の書き付けは、小堀遠州とされているが不明です。外箱蓋表は松平不昧の書き付け。『茶器目利集』に、「江戸魚々屋、堺に魚々屋と申す、町人所持、小遠州初めて一覧所望なり」としるされ、魚々屋から遠州が所望したものであると伝えています。そのご元禄七年まで小堀家に伝わり、同年九月五日に、橋姫茶入れとともに金二百両で小堀家から売り出され、のちに田沼侯に伝わったことが、『小堀家御道具外出留帳』や『遠州名物記』によってうかがわれます。上さらに寛政年間に至って、銀五百枚で松平不昧の蔵するところとなり、『雲州名物記』の中興名物茶碗之部に記録されています。
(林屋晴三)