亀が岡式土器 かめがおかしきどき

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鶴田 純久の章 お話

東北地方の晩期縄文式土器の総称。
青森県西津軽郡木造町亀が岡遺跡の土器によってこの名が付けられました。
岩手県大船渡市大洞貝塚の土器の研究によって、六型式に細別されましたが、最近ではこれを九型式に分ける考えがあり、一方では五型式とみる説もあります。
亀岡式土器の過半数を占めるのは粗製の深鉢であります。
砂を混ぜた素地を用いた厚手の土器で、縄文を施すほか簡単な文様をもつものがある程度であって、年代的変遷によっても大差を生じていないようです。
一方精製土器は緻密な素地を用い薄手に仕上げており、概して小型品が多く、各種の鉢・皿・壺・高杯・注口土器・香炉形土器など数十種類の器種あります。
これら精製土器は勁黒色を呈し、木彫風の文様で華麗に飾っており、また空白部分も丁寧に磨研して光沢を生じています。
器種の数、文様の変化に最も富むのは古い段階においてであって、新しい段階になると器種も減り、文様の種類も減っています。
文様の変遷の大要をみると、まず古い段階には三叉状文と呼ぶY字形を組み合わせる文様、S字形・K字形を組み合わせる文様などの曲線的な文様が発達し、繊細な磨消縄文を効果的に用いました。
しかし文様は次第に平行線化の途をたどり、工字文と呼ぶ文様に移り変わり、縄文は姿をひそめました。
この他磨消縄文の空白部分も丹彩したもの、黒漆の地に丹を混ぜた漆を塗ったもの、赤漆で文様を描いたものもあります。
亀が岡式土器の文様には器種およびその各部分(口縁部・頚部・体部・底面など)ごとに規則的な使い分けが認められ、これは年代の変遷に応じて系譜的に受け継がれています。
亀が岡式における異常なまでの多数の器種の存在や、複雑な文様の種類の存在に関しては、同じ煮たり盛ったりする器であっても、例えば特定の品物を特定の時期に、特定の用途に用いるといった規制・禁忌があり、それを明確に使い分けるために生じたとする解釈があります。
亀が岡式土器の精製土器は、東北地方・北海道南部の各地で若干の地方色をもって存在するほか、関東・中部・近畿の各地方にもたらされ、その地の土器と共存しています。
これによって経文式時代の終末が全国的に大きな年代差をもたなかったことが証明されています。

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