亀井半二 かめいはんじ

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

名古屋の人。
幼い時から絵画を好み、名古屋の画人山本梅逸に従って画を学んです。
しかし浮世絵に妙を得て師の意に適わないようになり、ついに師の家を去り文政年間(1818-30)瀬戸に来て塊仙堂治兵衛・真陶園半助などの家に遊び、各種の陶磁器に絵画を描いました。
時の人はこれを賞して瀬戸半二焼と呼んです。
特に金欄手に妙を得ていました。
しかし半二は画工であり自ら製した磁器は少ないようです。
なお瀬戸において加藤姓を名乗っていたことがあります。
(『をはりの花』)※せきか

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