志野流香道の祖。
松陰軒と号しました。
俗名三郎左衛門宗信(一に三郎右衛門)。
入道し名乗をもって法名としました。
足利義政の近習で京都四条に住み、三条西実隆について香道を窮め、また歌道を嗜み茶道を楽しんです。
1523年(大永三)8月1日没、七十九歳。
一説に1522年8月18日没、八十二歳といいます。
俗に志野焼は志野宗信が瀬戸に好みを授けて焼かせだのに起こると伝えられます。
ただしこの説は信じ難いです。
(『香道濫筋伝書』『香道軌範』『香会式法書』『茶入系伝全集』『茶事談』)※しのやき
志野宗信 しのそうしん
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