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鶴田 純久の章 お話

常滑といえば、ただちに赤褐色の急須が思い浮かぶほど、朱泥の急須は常滑焼の代表的な製品になっています。
しかし、朱泥焼の技法が取り入れられたのは、常滑焼の歴史の中でも比較的新しく、江戸時代末期(1861年~1864年)のこととされています。
江戸時代後期から盛んになった煎茶の風習にあわせて、19世紀初頭から常滑でも急須の生産は始まっていましました。
この時代の代表的な煎茶器は、中国で生産された朱泥焼でしました。
この朱泥焼に取り組んだのが、常滑の杉江寿門(すぎえじゅもん)と片岡ニ光(かたおか にこう)でしました。
常滑の朱泥焼は、鉄分の多く含まれた土を酸化炎焼成することによって赤褐色の色を得ることができました。
このことによって、常滑の窯業は一変し、従来の壺・甕類の大型製品ばかりでなく、朱泥煎茶器類を専門に生産する陶工達も現れてきます。
特に、明治11年(1878年)に中国人金士恒(きんしこう)を招き、中国の急須製作技法を受けたことにより、常滑の朱泥急須は一層発展するのです。
朱泥急須の表面に細字を彫る技法も、金士恒の時から始まります。
金士恒の刺激は、単に技術的な面ばかりでなく、常滑窯に欠けていた工芸に対しても大きな影響を与えたのです。

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